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音楽の好みが個別最適化された世界に未来はあるのか

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仰々しいタイトルをつけてみたものの、私は音楽業界の人間ではないし音楽を消費する側なので、こういう抽象的なテーマでブログを書くのは自分でもイキってるな~~と思う。

何となくずっと感じていたことをツイートしてそれで気が済むかと思っていたけど、ひと月経っても心の中に居座っていた。それならいっそのことブログに書いてしまえ!とPCを開いた次第である。

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誰もが口ずさめるヒット曲が生まれにくくなっている

2000年代までに比べて、2010年代以降というのは「誰もが口ずさめる国民的ヒット曲」が誕生する確立というのがかなり低くなっている気がする。

CDからYoutubeや配信やストリーミングへと音楽を聴く手段が広がっているというのと、TVにおける歌番組の縮小などが理由として考えられるが、ポジティブに言うと個人の好みの棲み分けがハッキリ線引きされるようになったのが大きい。

 

音楽の飽食化

いまだにCDが売れることが重要視される日本では、大規模なプロモーションをかけられる大手レーベルや事務所が幅を効かせているわけだが、だからといってそれらの曲が誰もが知るヒット曲にはなっていない。むしろ曲は二の次で、特典としての映像やイベント目当てで円盤を買うファン層によって買い支えられているだけということも多々ある。

そういう売る側のやり方だけではなく、聴く側の変化もある。聴こうと思えばYoutubeで検索すれば(公式なり非公式なり)大抵の曲は聴くことができるし、Spotifyのようなストリーミングサービスで何千とある曲をザクザク聴くことができる。CD1枚から曲単体へと聴く単位が小さくなると、当然触れることのできる曲の数が相対的に増えるわけだから、聴き捨てられてしまう曲も増える。まさに「音楽の飽食化」が現在進行形で起こっているのである。

 

そして個別最適化へ

CDから配信へ音楽の場所が移るのは、それまでリーチしていなかった層にも音楽を届けられるというメリットがある。リスナーは好きなアーティストやジャンルが見つかると、どんどん深掘りして芋づる式に曲に出会える。それがものすごく低コストかつ短時間でできることは喜ばしいことだ。

そうして誰もが狭く深く音楽を聴くようになると、「Aというジャンルの中のaというサブカテゴリの中のx,y,zアーティスト」というようなくくりで線引きして、そこの中で快適に音楽を楽しむというようなことがあちこちで起こる。

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とても伝わりづらいパワポ芸を許して…。

 

これらのくくりはめったに交わることがなく、それぞれの内部で音楽性や独自の文化が発達していく。個別最適化によって、人々は自分のいるジャンルや応援するアーティストに対してさらに熱狂し、その外側にあるものにはなかなか触れる機会がない、という状態が顕著になっていくだろう。

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隔絶された世界が融和する時

個別最適化するということは鎖国状態になるのか、というのはちょっと違う。鎖国状態にしてしまいたい者もアーティスト・ファン問わずいるだろうが、あっちもいいなこっちもいいなとフットワーク軽く音楽を楽しんでいる人も少なくない。

そういったライト層に門戸を開き彼らに受け入れられた時、個別最適化された世界の線引きが曖昧になる。完全に線が消えるわけではなく、グラデーションのようになるイメージだ。外側から覗くきっかけとなるものから徐々に核の部分(音楽性でもキャラクターでも売り出し方でも何でもいい)へ引きずり込む力の強さで、ファン層はどんどん大きくなっていくのだろう。

そのきっかけは楽曲だったりメディア露出だったり、ファンの誰かが書いたブログやツイートの場合もある。見たくなければフィルターを掛けることで見ずに済むけど、能動的に覗き込んだらどこまでも深く突っ込んでいけるのが個別最適化の良さなのかもしれない。

 

私のスタンス

個別最適化された世界のどこに自分はいるのか。一番の核になっているのはキスマイだし、他のジャニーズグループもウォッチの対象。音楽のジャンルだとダンスミュージック・ポップス・ロック、ジャズやクラシックや劇伴音楽も好きだ。

浅く広くアンテナを立てておいて、ピンと来たものを狭く深く追う。一つに絞らずに視野を広く持って、この世に存在している音楽に触れていく。何とも八方美人のような気もするが、好きだと思えるものが多い分楽しく生きられるのでそういうスタンスでいようと思っている。

 

好きを発信し続けたい

個別最適化されて自分がいる枠の外が見えにくいからこそ、「好き」を内外へ発信したい。内側に対しての発信は好きなポイントを共有できる面白さがあるし、外側に対しては傍観者たちをゆるく巻き込むムーブメントを起こせる面白さがある。

私はそれをブログなりtwitterなり文章を手段としてやっているわけだけど、絵が得意だったらイラストを描いてみるのもいいし、歌が得意なら歌ってみればいい。友人にしれっとオススメして曲や映像に触れさせるのも発信の仕方の一つだ。強要にならない程度にね。

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好みが合わないものに出会うこともある

好きだ好きだと言っていても、どうしても自分の好みじゃない曲や意見などにぶつかることもある。嫌い・好みじゃないというネガティブな言葉を呪いのように垂れ流すようなことはしたくはない。それもひとつの意見なのだけど、あくまでも一事象に対しての意見にしておくべきで、愚痴の矛先をあちこちに広げるべきではないと思う。

愚痴は何の進展も望めない。ただ嫌いだ苦手だと言うだけではなくて、良い方向に向かうにはどうすればいいか考えるところまで踏み込む「批判」をできるようになりたいものだ。

 

個別最適化された世界に未来はあるのか

個々の対立ではなく共存を図り音楽に関わる全てが向上していけるようにするには、音楽+αの価値付けと、個の発信力のエンパワーメントが鍵を握る。

音楽+αの価値付け

特典映像が付くとかイベントに参加できるというのも勿論良いが、もっとリスナーひとりひとりの生活・人生に入り込むような価値の創造が求められてくる。CDが売れないのにライブやフェスがあちこちで盛り上がりをみせているのは、音楽を「聴く」から「体験する」へのシフトが一部の音楽好きだけでなく一般層にも広がってきているからだろう。

個の発信力のエンパワーメント

メディアに出るような有名人でなくても、SNSでのフォロワーが何千何万といることも珍しくない。フォロワー数が全てではないが、何かを発信した時にそれを目にする母数の大きさは一目瞭然である。

アーティストだけでなくファンも発信力をつけることで、今まで以上に大きな熱狂を起こし得るし思いもよらない所から新たなファンが生まれることもある。もちろん負の感情を発信するのではなく、「好きだ」という思いをどんどん発信していこう。私も発信力に関してはまだまだ発展途上にいるので今後の課題点である。

 

おわりに

個別最適化された世界では出会えてない曲がまだまだたくさんある。「誰もが知るヒット曲」が少なくなっても、「ある界隈で爆発的に支持を得ている曲」は必ずあるものだ。誰かにとっての定番曲は、私にとって斬新で新しいものかもしれない。あなたの「好き」が詰まったに沼に私も引きずり込まれたい。そんな8月の週末。

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